「ドイツ兵士の見たニッポン」読後所感

 「ドイツ兵士の見たニッポン」 丸善ブックス 

習志野市教育委員会編  本文執筆 星 昌幸 平成13年12月20日

 ー第一次世界大戦に敗れ、中国で捕虜となり日本の収容所に収容されたドイツ兵士たちの生活と、日本人との交流を描く。ー(表紙より)  読後所感

 彼らは、日本各地で収容されたが、この書では、約一千名の最大収用所、千葉県北西部の地ー習志野ーにおいて、故国を想いながら、解放までのあいだ誇り高く生きたドイツ兵俘虜の生活一般を描く。そこには、マイスターの技術を持つ人々もいて、腸詰めソーセージ製法をはじめ、様々な技術や文化の継承・移転が日々の交流を通じて行われた。

 俘虜の接し方一つをとってみても、武士道の気配が残る日本側の待遇や、ドイツ兵が、持て余した時間の中で憂さ晴らしを策略してみたり、大量のビールの飲酒と、趣味の域を超えたギターなどの楽器、ボトルシップの製作など何かをしていて、じっとしていなかったドイツ人気質を紹介している。また用箋の限定配布を受けて、足りない者は必要のない者から買い取り、母国の親や家族にむけて思いの丈を書いて、付近の子供にお金を与えて投函させた。子供は喜んで郵便局へ手紙を届けた。・・・など。

 巻末に、二人の俘虜の日記が紹介されているが、後に公開されるのを意識した節もあり、本音は埋もれているように思える。が、強い精神力と遊び心ある思考力は興味深い。

  最後の第七章「ドイツ兵の墓」ー習志野ーでは、病死などで30名が亡くなり、船橋市習志野霊園に慰霊碑に霊が祀られれている。この慰霊碑建立に至る経緯や、貢献した人々を紹介している。昭和30年11月13日、海外に残るドイツ墓地を顕彰する「ドイツ国民哀悼の日」に除幕式が行われた。ー毎年11月のこの日には駐日ドイツ大使館から武官が訪れ、この日ばかりは墓地は華やいだ雰囲気に包まれるのである。ーとある。

 我々の国はどうか。大陸での紛争から戦争、二つの大戦を経て数百万人の死者(犠牲者)を出した日本国。外地のうち、現地住民の理解が得られた地では、慰霊碑を建て弔うこともできる。それ以外では、記憶の風化や広範囲かつ数の多さ故に、既戦闘地域に残る遺骨の回収にも限界がみられる。国は厚労省が同事業をすすめているが、「遺骨が金で売買されている」という噂にも突き当たる。時代の背景が大きく異なるとはいえ、本書に登場するドイツ人俘虜のタフさに感心すると共に、独日両者の戦死者に対する意識と実践力の差に、残念な思いが募る。